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笹倉及介の日記ブログ

境界を分ける能力

 爪の話の時にも少し書いたけれど、人間にはあいまいなものを感情で白黒ハッキリ分ける、境界線を引く能力があると思う。爪のときは、爪の長さが「普通|長い」という境界があり、それを超えると突然「爪が長い!切ろう!」と思い始めると書いた。
 今日もそんなことがあった。僕は思った。今日からハッキリ「春」だと。暖かい。あたたたかい。春だね。こたつも要らないね。毛布もいらないね。これは今日冬の境界を越えたということだ。
 今日は急に気温が上がったから春だと感じたのだろうけれど、たいてい季節ってのは急に変わるものだ。でも気温が1℃ずつじわじわ上がっていっても、突然「今日から春だ!」などと思い始めるに違いない。水の温度はよりわかりやすい。ある一線を隔てて、「あつい|ぬるい|つめたい」がハッキリ違う。…と、書いてみて気づいたが、もしかしたら人間は言葉の数だけしか感情が無いのかもしれない。
 異なる要素が入り混じるような複雑なものでもハッキリと分けることができる。それは「善|悪」とか、「好き|嫌い」とかだ。これは論理的にうまく説明できないことであるけれども、ハッキリできることなのだ。犯罪者でも、情状酌量というやつがあるが、それも感情の境界にのっとったものである。僕は「信号無視は徒歩なら許せるが、自転車は駄目だ!」なんて思ったりするが、それもそんな境界だと思う。「好き」というのも、何故好きなのか、どこが好きなのか、うまく説明できないけれど、ハッキリ好きだとわかる。そして、わずかにいつもと違っただけで、突然嫌いになったりするのだ。逆もある。どちらでもないニュートラルな状態は、それをよく知らないときにしか無い。
 人間のこの能力は案外当てにできるものだと思う。昔ながらの勘に頼る職人などはこれをあてにしてモノつくりをしているように思えるし、法律スレスレのことを誰もがやらないのもこの境界のおかげだ。みんな「犯罪ではないけれど、悪いことだ」とわかっているのだ。ただ、人それぞれその境界が違うので、法律や定義としては用いられない。そこが不便だ。境界線が何故そこに引かれるのか謎だし、説明も難しいが、自分としては物凄く信用できるという、よくわからないガイドラインなのだ。