hakanashika

笹倉及介の日記ブログ

 以前にも少し書いたが、箱というものは開けたい、というより、開けなければならないと生まれる前から決まっていたような気がすると僕は感じるのだ。大きい箱だったら中に入ってみたいと思う。入るのは正義だろうと思う。これは僕だけの感覚ではないと思うが、研究室の人々にはわかってもらえなかった。何でわかってくれないんだろう。
 たとえば、ガチャッとドアを開けて、そこはいつもの部屋だけど、机の真ん中に黒い箱があった。真っ黒で綺麗な立方体をしていた。…絶対開けるよな?開けない?開けないのはおかしいだろう。箱の中身を知りたいとも思わないのか。知りたいと思ったら開けるのは当然の帰結じゃないのか。
 不確定性原理というのを知っているだろうか。シュレーディンガーの猫の話は知っているだろうか。うまく説明できないので知らない人は検索して欲しいのだが、量子力学的には、箱の中にあるものは誰かが観測するまで決まらないのです。…どうですか?開けたくなるでしょ?ならない?困ったもんだ。箱の中に子猫が入っていたらどうするんですか。子猫を見捨てるのですか?
 大きい箱があったら入りたいのはそれほどおかしい感情ではない。スネークを見習え。あいつは真面目にお仕事でダンボールに入っている。
 だって、すっごい大きいんですよ?冷蔵庫くらい。入りたくならないんですか?ならないの?そういう人は、恥とか、大人はそんなことしないとか思っているんじゃないのか?入りたいという感情を押し殺しているだけじゃないのか?どうして入りたくないんだよ。何もずっと入っていろといっているわけじゃないでしょう。ちょっと入ってひとしきり楽しんだあとは出ていいんですよ。梱包するわけじゃないんだから。
 どうしてわかってくれないのかなぁ。扇風機にあ”〜ってやりたいとか、水たまりが凍っていたら踏みたいとか、そういう感覚と一緒なのに。

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