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笹倉及介の日記ブログ

信号機が自然の一部になるとき

夕日とか、月夜とか、紅葉とか、そういうものが風流だなぁとか、風情だなぁ、趣があるなぁと思うことは日本人としては普通のことだと思う。それは何でかというと、もちろん綺麗だというのもあるけれど、ずっと昔からそういう感情が教えられてきたからだ。具体的には枕草子にそう書いてあったから、今の日本人も夕日を風情だと思う感情を容易に意識することができるのだ。
今日は僕が信号機に風情を感じたので、それをここに書いてその感情をぼんやりと後世に伝えようと思う。今日は朧月夜で、霧雨が降っていて、非常に綺麗な夜だった。そこに信号の光がぼんやりと見えるわけだ。とてもよい。いとおかし。あいつらは、車が通らなくてもずっと動き続けている。誰も見ていないところでずっと動き続けているのだ。僕が生まれる前から、朝も昼も夜もずっとあの形で動き続けている。これはもう、太陽や月なんかと同じじゃないか。どちらも高いところにある。それを日本のおっさん達が技術を駆使して作り上げ、ずっと維持してきている。車の流れも人の流れも全て、信号機が操作している。そういうことを考えると、何か感じるところがあっても不思議じゃない。もののあはれです。
でも、発光ダイオードの信号機にはあまり風情は感じない。やはり、あまり見慣れていないからだと思う。モダンさがあってはあまりそういう感情は生まれてこない。古臭い感じがしないと駄目なんだと思う。

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