キャラの縛り
キャラ、と言うのがあります。他にうまく言い換えられないけれど、わかりやすい人格というか、idというか人間的性質のようなのです。日常生活で使う「俺そんなキャラじゃないし」とか、「あいつ変なキャラしてるよな」と使う…のかな。
「らしさ」とでも言うのだろうか。自分らしさ。
- 自分のキャラを作る
- 誰かのキャラを「こういうものだ」と決める
というのはよくないのではないか。
自分らしくないという理由でやりたかったけれどやっぱり止めたとか、その行動が彼らしくなかったからガッカリしたとか、きっとどこかであったような気がする。それは自分で勝手にキャラを作り上げていたからだ。よくない。じつによくない。いったい僕は何様なんだ。
キャラを作ったり、誰かのキャラを決めつけたりすることは、その人をキャラという枠の中に押し込めて、出ることを許さない行為だ。そんなのつまらないよ。
しかし、だからといってある程度相手がどういう人間かを想像しなければ人間関係はうまくいかないし、自分がどういう人間かを手っ取り早く理解させたいし、やっぱりキャラ設定というのは、ある程度は重要なのかもしれない。でもあまり「キャラ」とか「らしさ」とか意識しなくてよいと思う。
つまり僕の言いたいことはだんだんよく分からなくなっている。
「キャラの枠を飛び越えてもいいんだよ!」ということです。自分らしくないと思ってもやりたければやってしまえばいいし、自分らしさとか探さなくても良いんじゃないか。