hakanashika

笹倉及介の日記ブログ

教えたくないこと

以前に同じようなことを書いた気がします。

僕は、誰かに自分のことを知られると同時に自分が変わっていくような気がするのです。例えば、飲み会の場で、「どういう外見の女の子が好みか」という話になったとします。当然僕にも話は振られる。僕は、自分の好みの女の子のことをはっきりと言葉にすることはできない。なぜなら、よく分からないからです。決めていないのです。当然、僕にも「こういう女の子は好きだ」というぼんやりとしたものはありますが、はっきりしていない。例えば、髪の綺麗な女性はいいなーと思います。でも「髪の綺麗な人が好き」と言えるほどはっきりと髪の綺麗な女が好きというわけでもないのです。髪が綺麗ではない女性が嫌いというわけでもありません。髪だけが綺麗ならば他はどうでもいいのかというと、それも違う。そうではない。それに、髪が綺麗な女性が嫌いな男はいません。だからこの意見は僕の意見と言えるのだろうか、ということも言えます。
でも、誰かにそういったことを聞かれて、答えるとしたら、「髪の綺麗な人が好き」と言うのだろうと思います。でも僕は答えたくない。なぜなら、「髪の綺麗な人が好き」は正解に近いけれども、全然違う答えだからです。しかし周りの人間にそれが知れ渡ってしまうと、僕自身の意思とは関係なく、それが事実になってしまうような気がするのです。誰かに知られてしまった以上、本当のことにしなくてはいけなくなってしまいます。そうしないと僕は嘘つきになってしまう。思っているだけだと自由ですが、発言してしまうと責任が伴います。僕は髪の綺麗な人を好かなくてはならなくなってしまったし、髪が綺麗でない人に惚れられなくなってしまった。

「髪の綺麗な人が好き」という発言前の自分とはいろんな事が変わってしまっています。

こんな事に嫌になったので、最近はもう、開き直って必要以上に自分の情報を勝手に報告し正確にぼんやりとした僕の思考を理解してもらうか、適当なことを冗談で言うか、「教えない!」とにこやかに言うかにしています。