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笹倉及介の日記ブログ

知らない言葉は多いのだ

僕はわりかし偏っている人間だし、特に教養深いわけではないので、普通知ってるでしょ?というような言葉を知らないことが多い。でも、偏っていることを自覚しているので(理系というだけで、世間的には偏っている)、誰かに話すときには、自分の言葉が通じているのかどうか、ということに気を使っているつもりだ。自分の中での常識は、相手にとって非常識かもしれない。
具体的には、なにかについて話すときには、それについて「xxって知ってる?」「xxってわかるかな」などと聞いたりする。知らない場合は、説明をすることにしている。
逆に、これをやってくれない人が結構居る。僕が全然わからないことについて、当然知っているかのように話す人たちが居る。これは、あまりに常識過ぎることについて僕が知らないことがある、ということにも原因があるかもしれない。もしくは、その人の周りでは常識だが、僕はたまたま知らなかった、という場合。とりあえず、僕は質問をすることにしている。「xxって何?」という風に。そういう場合に、「知ってて当然でしょ? 馬鹿なの? 死ぬの?」と、上から目線にならず、「そうか、笹倉は知らないのか、じゃあ説明せねばな」という感じで真摯に説明してくれる人は、とても好きだ。上から目線で何故それを知らないのか、と言わんばかりの人は、やはり不愉快である。自分もそうならないように、気をつけたいものだ。
しかしながら、あまりに「当然知ってるよ!」というようなことについて、「ねえねえ、xxxって知ってる?」と聞くのは、相手にとって失礼であるような気もする。「俺のことをそんなに無知だと思っているのか? そんなこと知っているに決まっているだろう、馬鹿にしてるのか?」と思われたくない。そのへんは、人を見て、という対応しかない。ナトリウムが金属であるということは、うちの母は知らなかったが、僕の同僚は当然知っていることである。同僚に「ナトリウムっていう金属があるんだけど、知ってる?」という疑問を投げかけたら、当然知っているから、「馬鹿にしてるの?それとも冗談なの?」と言われてしまう。
そのへんの機微はとても難しい。
知らない言葉について、誰しも単に疑問として、「それって何?」と聞いてくれるような世の中であれば良いのだが、知らない言葉を使うと、なぜだか馬鹿にされたと思ったり、不愉快に思う人たちが居ることがとても窮屈である。