hakanashika

笹倉及介の日記ブログ

もうちょっとゆるくお金をやりとりする社会にならないものか

ところで、もうちょっとゆるく書こう。毎日なんか書きたいなーと思った。定期的に、blogを毎日続けたい欲が発生する。
そういうわけで、もうちょっとゆるくお金をやりとりする社会にならないものかな、と思った。

僕は毎日働いているけれど、会社の中には、僕よりも仕事をしないし価値を生まないけれど僕よりもたくさんのお金を貰っている人間が、わりとたくさん居る。そういうことを会社の仲の良い人に愚痴ったら、「若いときはそういうもんだよ」とか言う。そういうものかなぁ、やはり自分の給料以上に働いて、だから会社が持つのだからなぁ、と思ったりもした。労働と給与がトントンだったら、会社は常に自転車操業だろう。
でもそれだって、もうちょっと貰ってもいいよなぁ、と思ったりもする。なにかこう、もうちょっと流動的に、給料が上がったり下がったりするシステムはないだろうか。

この社会では、価値のある行動をした人に、それなりのお金が分配される。会社にとって価値のある人は給料が高い。でも、もう少し流動化して欲しいと思う。



良い案が思いつかないので、もっともっと考えを飛躍させると、

  • twitterでRTされると10円もらえる。そのかわり、RTするときには1円かかる。

とかどうだろうか。これも、価値と貰えるお金の流動化だ。価値があるtweetはたくさんRTされるから、ネット上で価値のある発言をする人たちは利益を得ることができる。でもデマなんかがムダにRTされるのを防ぐために、なにかしら仕組みが必要かもしれない。
これが実際に行われたら、誰もRTしなくなるだろうか?それとも、RTで稼いで家を建てるような人が出るだろうか?

お金を払う・貰う・稼ぐ・雇うなどの仕組みはこれからどんどん流動化していくと良いなぁ…。

でもそうすると、諸刃の剣で、全然稼げないことになるかもしれない。生きていくコストを賄えるかどうかわからない。僕には生きていく価値がないかも。流動化の最果てには、生きていく価値がない人間を選別するだけなのだろうか。