hakanashika

笹倉及介の日記ブログ

いま集合的無意識を、

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

この小説は短編集だ。表題作が話題になっていたようだけど、僕はあまり話題とかは気にしない。神林長平の短編集が読みたかったので買ったのだった。
一番最初に書かれていた「ぼくの、マシン」という小説がとっても良かった。コンピューターがネットワークの一部であり、完全にスタンドアローンでオフラインなコンピュータが無くなってしまった時代に、自分だけの秘密の空間が作りたいがためにスタンドアローンのパーソナル空間を得るため頑張る少年の話だ。正確には、「頑張っていた、元少年の回想の話」だけれど。
この感覚はすごくよく分かる。自分だけのコンピューター。自分だけの道具。自分だけの部屋。使ううちに自分にフィットしていき、自分以外が使うと使い勝手が非常に悪い。しかし自分には最適な道具。そういうのには、常に憧れている。オフラインのマシンというのは、不便なようにみえて、機能は少ないけれども、実はとても良いものである。ポメラdm100を買ってから文章を書く量が段違いに増えた。テフロン加工のフライパンではなんだか「料理してる感」がなくて、鉄のフライパンを使うようになった。スマートフォンが普及しても、手書きのノートとボールペンを愛用している。どう考えても、便利でない方を愛用している。道具は、自分が使いこなしているという実感が必要であって、勝手にアップデートされたり、検閲されていたり、リソースを使われていたりするのは自分の意思に反することなので、気分が良くない。手間暇掛かるけれども、100%自分の思い通りに使いこなすというのはたいへんな快感だと思う。万年筆などが支持されているのも、手は掛かるけれども、最高の書き心地を実現することができるからである。

小説の話からそれた。でもとにかく、「ぼくの、マシン」はとっても面白くて、気に入った話なのだ。他の短編ももちろん面白く読めた。


表題作については小説では無く、エッセイや私小説に属するものだと思う。これはきっと伊藤計劃と好きで神林長平が好きな人にとって貴重な文章なのかもしれない。でも僕としては、あまり読んでいて面白くは無かったなぁ。文芸批評のようで好きになれなかった。これはきっと「伊藤計劃」と「伊藤計劃の小説のファン」のための文章なのだろう。
「批評以外のところ」については、この人はスゴイ人だなぁ、と思った。僕は、あるジャンルの第一人者というのは「ベタなことを恥ずかしげもなく言う/やる」だと思っていて、そういうイメージにぴったりのひとが神林長平であるという印象。SFの第一人者的な存在と思った。しかし時代の先端を走るSFにベタも何も無いわけで、それでも「ベタだ」「しかしおもしろい」と思わせられるような人というのはとてもスゴい人だと思った。