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笹倉及介の日記ブログ

やりたいことができる俺

以前よりは人間が円くなっているのが自分でも分かる。以前は他人にたいしても、「何故xxしないんだ!xxすべきだ!」というような激しい感情があったのだけれど、今はだんだんそれがなくなってきて、他人を許せるようになってきている。これは大人の階段を上ったということなのだろうか。なんとなくではあるが、「その方が自分にとっても相手にとってもメリットがあるということ」「その場の感情に流されて相手を否定しても何も良いことはない」ということを学びつつある。うまくいかないときもあるけれど、そういう経験を積むにつれ、良い意味での「大人」になるのだろうと思う。

以前に遠くに住んでいる友人と写真を取りに行ったときに、「大人になんかなりたくない。変わりたくないなぁ」といったことを言っていた。そのニュアンスは、ダブルスタンダードをよしとしたり、「普通」「常識」の名のもとに自分の嫌いな属性の人を貶めるようなことを言うような、汚い大人になることは嫌だ、という意味であると僕は理解した。そうして、ゲームやマンガを子供の趣味と決めつけて、自分が楽しめなくなったものを幼稚という。そんな大人は本当に嫌なものだし、僕もそういう大人にはなりたくない。変わりたくない。でも、「きれいな大人」もあるはずだ。

自分が気持ちよくなるためだけに行動するというのはとても幼稚なことである。自分が気持ちよくなり、相手も気持ちよくなるそういうことが出来るような人間でありたい。