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笹倉及介の日記ブログ

屍者の帝国

屍者の帝国

屍者の帝国


読了。おもしろかったー。
装丁がかっこいい。カバーない方が断然いいね。
円城塔は思った以上に優等生だなぁ。期待通りのものを世に送り込んできた。伊藤計劃を自分に呼び込んでエミュレートしつつ、自分もちょっと顔を出すという感じか。 逆に行えば、予想以上に伊藤計劃っぽい小説だったというか、これはただのよくできたファン小説じゃないか!と思わなくもない。期待以上だったけれど、円城塔なら、ちょっと期待はずれなことをあえてしてくれるはず!そうしてもっと面白い小説になるはず!と思っていたことについては期待はずれだった。そう思うのはナナメに構えすぎだろうか。まったく違ったの作風だったから比較できなかった両者だけれど、円城塔は完全に伊藤計劃を越えたね、という感じになるかと思ったのだけれど、そうでもなく、よくエミュレートしつつ書いたなぁ、と思う。

この小説ができるまでの流れから、傑作に決まっている、面白いに決まっている、そう言わざるを得ない雰囲気があるような気がする。話題性がありすぎるというか…。単純にとてもおもしろかったのだけれど、そういうところちょっと気になってしまって純粋に楽しめたとは言えない。アニメの脚本家や作画監督を語るのが好きでアニメのお話にはまるで興味の無い人が居るのと同じで、小説の内容ではなく、作者の背景や作品の関連性を語るのが好きな人も居るけれど、やはり僕は作者の背景などを知ってしまうと小説が素直に楽しめなくなってしまうので、そういう話題にはさわらない方が良さそうだ。

以下作品についての考えたこと。

小説を読んでいく中で、疑問に思ったことが丁寧に後々回収されていくのは気持ちよかった。たとえば、この小説は、もし死んだ人間を屍者にして労働力として使えたら、というifを膨らませてかかれているが、どうして屍者にするのは人間なのか?と僕は考えた。労働力として利用するならば、馬や牛のほうが昔から使われているのだから、それを応用するというのが普通の発想な気がする。死んだ人間をよみがえらせるというのは道徳的にも禁忌だろうし、屍者化する技術が開発されるならば、必ず実験動物は人間ではなくネズミとか馬だと思った。なぜ人間だけにこの技術が使えるのだろう? これは小説の中で綺麗な解が与えられていた。

現代には「魂実装済み」という言葉がある。この屍者化技術が発展していけば、人間と変わらぬ動きをして「不気味の谷」を超えてくる屍者もいずれ居るのだろうと思う。そうなると、毎日規則正しく生活して会社に行って馬車馬のように働く僕たちと屍者の違いって何?となって、結局「人間とはなんぞや」論に落ち着く。きっとそういう思索をさせるのがこの小説の狙いの一つなのかも。哲学的ゾンビの話が思い出された。以下リンクの内容が面白いです。小説を読み終わった人は是非。
ゾンビ問題 - 哲学的な何か、あと科学とか
このサイトは他のページも面白いです。
きっと魂実装されていなくても人間の形をして動いているのだから、キャラとしてかわいがられる屍者も居るのだろうと思う。初音ミクだって魂の無い人の形をした架空の存在だけれど、あれほど絶大な人気を得ているし。そういえば、「ちょびっツ」という漫画があったなぁ。「もし近い未来に人間型のパソコンができたら…」という話なのだけれど、このパソコンが美少女なのである。人間型がインターフェイスとして最も優れていると石黒浩*1も言っていたし、人間を屍者にして道具として使うのは理にかなっているかも。

*1:人間そっくりなロボットを作っている人。自分自身そっくりなロボットも作ってた。ロボット工学の偉い人