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笹倉及介の日記ブログ

赤目姫の潮解

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE

読み終わって、なんなんだろうこの小説は、とかみしめている。なんだかよくわからない小説だった。しかし、とてもすごい小説。なんだかすごい小説というのは間違いない。
前情報から、どうやら百年シリーズの続編だとわかって、大好きな小説だったので、期待をしていたのだけれど、その期待は良い意味で裏切られた。前作までの2つはミチルとロイディが旅をする小説だったけれど、今回は全く別の方向性だ。でもどうやら同じ世界のことについての物語のようだ。

本書では主観がどんどん入れ替わり、自分が話していたと思ったら、その話を聞いていたのは相手だったのだけれど、実は自分だった。みたいな展開で話が進むものだから、もう何が何だかわからない。夢を見ているようだ。
僕はたまにそういう夢を見る。夢の中の全部の登場人物は、全て自分で演じているし、全て自分の主観として捉えることができるのだけれど、でも他者は他者なのだ。

赤目姫に始まって、いろいろな色の瞳を持つ登場人物が出てくるが、主観が曖昧で常識が通用しない小説なので、この色に対しても、実は本当は赤は赤なのだろうか?という疑問を持ってしまう。赤はどうして赤なのか?という哲学の問題をどこかで目にしたことがある。

参考文献
クオリア - 哲学的な何か、あと科学とか

「視線」というのも、もしかしたらテーマなのかもしれないと思った。誰かに見られているからこそ、そこに在ることができる。量子力学を文学的に解釈したような感じ。誰かに見られていないと、確率論的なことしか言えないが、見られていると、自我が確定し、存在できる。

つまり、僕が観測していない人たちは、みんなぐちゃぐちゃどろどろした触手でうねうねしているかもしれないし、なんだかだらだらしていて休んでいるだけかも知れないけれど、僕が観測した瞬間に、しゃきっとして人間的で僕の知ってる人たちかもしれない。確かめられないから、僕は一生気がつくことが無い。

この小説はミチルとロイディが旅した世界のさらに未来なのだろうか。もしかしたら、仮想現実の中の人たちの話なのかもしれないし、自我を持ち始めたウォーカロン(人形)の話なのかもしれない。森博嗣のシリーズということで、途中から四季が関連しているんだろうと疑って読んでいたが、それもよくわからず。
再読が必要な小説だと思った。

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