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笹倉及介の日記ブログ

子供が生まれてからの雑感

前書き

子供が生まれた。こんなに人生で大きなイベントは無いだろうと思われるし、気づいたこともあったのだった。

誰彼構わず子供の話をしたいという気持ちがあるが、実際に興味を持って聞いてくれる人はあまりいないと思われる。他人の子供の話など、どうでもよいことだからだ。誰しも自分の子供が可愛いに決まっている。

しかし、僕はブログを持っている。こんなにも誰かにとってどうでもよい話をたくさん書ける場は無い。なので、ここに記すことにする。

子供がかわいい

はいはい親バカだね、で済む話ではない。冷静に話をしたい。自分の子供がかわいい、それだけでなく、他の子供もかわいくなった、という変化があった。

近所から聞こえてくる子供の声、かわいい。お店で自分の読める字だけを音読している子供、かわいい。スーパーで母親のお手伝いでカートを押している子供、かわいい。集団で遠足に行くペンギンの集団のような子供たち、かわいい。

しかし、もちろん自分の子供のほうがかわいい。かわいさの次元が違う感じ。かわいさ10次元。結局親バカと言われても仕方がないが、自分の主観的な心情としては、そうなのである。やはり自分の子供のほうが、様々な視点から可愛さを見いだせるのだ。

自分の子供の写真をケータイの待ち受けにしている人が居る。以前は、なぜそんなことをするのだろうか?と思っており、謎の行動だったのだが、今はそういう人の気持ちがわかる。僕は今のところそうしていないが、うっかりそうしてしまうかもしれない。なぜか?かわいいからである。自分の子供の笑顔を見ると、どんな時でも和むし、気が緩むからである。

かわいいの連鎖

そう思っているのは、おそらく自分だけではない。僕も妻も、両親にかわいいかわいいと言われて育ったのだろうし、両親も、祖母達にかわいいかわいいと言われて育ったのだろう。会社の冴えないオッサンも、自分の子供を可愛い可愛いといいながら育てていたのだろうし、オッサン自身も両親にかわいいかわいいと言われ育ったのだろう。

それは人類史のスケールで大昔から続いてきたことであり、今に至るということを実感した。

よくわからなさ

自分の子供は、自分の子供にも関わらず、自分のものではないし、子供という自我を持っている。なんだかよくわからない。なぜ動いているのか、何かを考えているのか、成長しているのだろうか、健康なのだろうか。何もよくわからない。全然よくわからない。だけど、日々少しずつ大きくなっている。

子供が生まれる前は、こんなこと考えもしなかった。