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笹倉及介の日記ブログ

人は読みたいところだけ読むし、読みたいように読む

本を読んだり、インターネットを読んだりしていてわかったことがある。
知りたいことや興味のあることはだらだらと読み流しても目に止まる。読み流していて、そこだけフォントが一つ大きいサイズに見えたり、浮き上がって見えたりする。ちょうどタグクラウドのように、自分の興味の度合いだけ大きく見える…ような気がする。
例えば、今僕はとても就職活動(というか今後の進路)について心配しているから、僕自身の面接での志望動機や面接でのネタになりそうなこと、やりたい職種に必要っぽいことなどが引っかかる。全く関係のない小説やエッセイなんかを読んでいてもそうなる。あとは、なんかブログに書くこと無いかな?とか、楽に作れておいしいものはないものかとか、楽して目的を達成するにはどうすればいいんだろうといったことは常に考えているので、そういうのもちゃんと引っかかる。

そのとき持っているアンテナによって、同じ文章からでもいろいろ加工されて自分の中に入ってくるのだ。それは日によってまちまちだし、気分や状況によって違う。
同じ景色を見ても、それまでの経験や興味によって見え方が違う。木を知っている人は木が見えるし、字が読める人は字を読む。僕は、同じ景色を見てたくさんのことを思えればなあ、なんて考える。
たぶん、健康で幸せで不安もなく前向きな人であれば、より前向きに情報を加工して取り入れることができる。だからそうでありたいと思っているけれど、なかなかそうはいかない。

そういうことを思ったので、たくさんの情報にうわべだけでもよいから触れることが良いかもしれない。そこから自分のアンテナに引っかかったものだけに更に注目する。そうするとそこで述べられた他のことについても少し知識が得られる。そうすることで興味とか人間の幅とか、じわじわと広がっていくような気がするのです。横に広がるだけで、深くはならないかもだけど。