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笹倉及介の日記ブログ

タングステンおじさん 其の二

昨日のエントリを読み返してみたら、全然面白くない!あれだけ良かった本なのに、なんでこんなに面白くなさそうに書くのだろうか。たぶん疲れてたのが良くなかった。もう一回書く。

タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代

タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代

おじは水銀をボウルに入れ、鉛の弾丸を浮かべた。弾丸は沈んだがそのあとで、ポケットから小さな銀白色のバーを取り出してボウルに入れた。驚いたことに、それはあっという間に底まで沈んだ。こいつが俺の金属、タングステンなのさ、とおじは言った。

カッコイイ…。このおじさん、すごくカッコイイ。そんなこと少年時代に言われたら、ときめくに決まってるじゃないか。


この本は、筆者のおじであるタングステンおじさんや家族とのふれあいから、筆者の少年時代に得た科学の不思議さや感動を書いたものです。

筆者は理系一家に生まれ、おじであるタングステンおじさん以外にも、いろいろな人から科学に関することを学んでいきます。

子供の頃の私がいくら質問をしても、母はせっかちに答えたり理由もなしに解答を押しつけたりすることはめったになく、きちんと考え抜かれた答えで私をとりこにした(私の理解力を越えていたのも多かったが)。

僕もそういう風に子供を育てたいね! 子供ができたらの話だけど。

おばは、植物観察のために、よく森へ長い散歩に連れて行ってくれた。そんなとき、道ばたに落ちている松ぼっくりを見せられ、それにも黄金比にもとづくらせんがあることを知った。レンおばさんは、小川のほとりに生えているトクサも見せ、継ぎ目のある堅い茎をさわらせて、茎の節の長さを順番に測ってグラフにしてみるように勧めた。やってみて、曲線がそのうち平坦になるのがわかった。するとおばは、この増加のしかたを「指数関数的」といい、生物はたいていこの曲線を描いて成長するのだ、と説明した。そして、この比の関係は自然界の至るところで見られるとも言った。数は、世界の成り立ちを表していたのである。

これは僕が昔、自然対数のことを知ってからずっと不思議に思っていることだ。「どうして自然対数になるのだろうか?黄金比は、なんでそうなるんだろう」ずっと思っている。以前、自然対数を知るよりもっと昔は「なんだそんなこと簡単じゃないか」と思っていたのだけれど、知ったとたんに分からなくなった。よく分からない感覚。



そんなこんなで、筆者の感性は主にサイエンスの方面に研ぎ澄まされていきます。そして、やっぱりタングステンおじさんの影響が強いので、ケミストリーに興味を持ちます。


タングステンで作られたルツボを見て、

「こいつは一八四〇年ごろに作られたものだ」とおじが言った。「一世紀も使われているが、ほとんどすり減っちゃいない」

そんな事を言われたらタングステンに惚れるに決まってるだろ!


筆者がアルミニウムが水銀に浸けると錆びてしまうと知って不安になっているところに、

「心配ない」とおじは答えた。「うちで使っている金属ならへっちゃらだ。このタングステンのバーを水銀のなかに浸けたって何も変わらない。そのまま一〇〇万年置いといても、今とまったく同じでキラキラ輝いているだろう」

だからそんな事言われたらタングステンに惚れるだろ!!

この不安定な世界にあって、少なくともタングステンは安定なものだったのである。

ほらもう、タングステンに魅了されてる。そりゃあそうだ。

「自然は、金や銀や銅をそのままの金属として恵んでくれている。南米やウラルじゃ白金もだ」おじはよくそう語り、戸棚から天然の金属を取り出した。複雑にねじれながらピンクに輝いている銅。針金状で黒ずんでいる銀。南アフリカの鉱山労働者が鍋で選り分けた、砂粒みたいな金。「初めて金属を見つけたときがどんなか考えてみろ」と叔父は言った。「日光に照らされて、突然岩や川底にキラキラした光が見えるんだ!」

あーいいなあ、自然って凄い。何だろうね、もう、絶句。というかまず何で金は金のまま出てくるんだろう?って思うね。ちょっと考えたら分かったけど、子供の頃だったら絶対分からなかった。でも、子供のときの僕なら絶対にそういう疑問を思ったはずだ。そしてその疑問は今答えられる。僕は子供の頃に目指した道に進んできたんだ!と思うと、とてもセピアな気持ちになる。


子供の頃に僕が同じような事を思ったという箇所も随所にある。

鉱物の名前にはとくに心を惹かれた。言葉の響きや連想、呼び起こされる人や場所のイメージに魅了されたのだ。古い名前には、古さや錬金術の香りがあった。

スウェーデンの小村イッテルビーも訪ねてみたかった。この村の名は、何と四つもの元素に使われている(イッテルビウムテルビウム、エルビウム、イットリウム)。

このような架空の元素とその名前――とくに星にあやかった名前――に、不思議と心を動かされた。とくに響きが美しいと思ったのは、「アルデバラニウム」と「カシオペイウム」(実在の元素イッテルビウムルテチウムに対してアウアーがつけた名称)、そして架空の希土(レア・アース)「デネビウム」だ。


理科好きには同意を得られると思うんだけど…。どうでしょうね。やっぱり、名前に惹かれるんですよ。幻想的で、古くさくて、図書館の一番古い本なんかから見つけてきたような名前で(しかも日本語じゃない読めない本)、僕だけが知っている秘密の名前…という感覚なんですよ、元素の名前というのは。周期表を初めて知った時はずっと眺めてニヤニヤしていたし、そのときから「W」なのに「タングステン」かよ!って思ってた。
そして、この世の中たった100とちょっとの元素で出来てると思うとなんだか悲しくなった。それでどうしてこんなに複雑になるんだと疑問にも思った。原子核一個増えるだけでどうして性質が変わるのかとか…。大学へ入って、本気で化学を学んだわけだけど、いまだにさっぱり分からないし、世界中の誰を捜しても、そういう疑問に答えられる人間はいないんだ。
そうそう、大学に入ったら「周期表の物凄く詳しいやつ」をもらえて、さらにニヤニヤして眺めていた。結晶状態とか融点沸点なんかが載ってる。今でも捨てずにとっておいてある。まあwikipediaを見たほうが早いんだけれど。そういえば、wikipediaの元素の項目を全部見たことはなかった。あとで見ることにする。


やっぱり、科学ってのは面白いし感動的だ。あんまり理系のイメージ、とくに化学なんかはイメージが悪いもので、理詰めで冷たいとか、あるいはマッドサイエンティストだったりするんだけど、まったくそんなことはなく、理詰めは理詰めだが、根元は感情的なものだと思う。それは「不思議だ」と思う気持ちだ。そして「なぜだろうか」と考えることが科学という学問だろう。



科学の楽しさと少年時代の感動を思い出させてくれた一冊でした。すごくおすすめです。