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笹倉及介の日記ブログ

何故読書をするのか

一応僕は読書を趣味としてとらえていて、その辺の人よりは、読書量が多い。ネット上では読書が趣味というと毎日1冊だとか、速読して毎日3冊だとかいう猛者もいるけれど、僕はどのくらいなんだろう。多いときで週に3冊くらいだと思う。

やっぱり読書は楽しい。新しい知識、他人の思考、面白い表現、どれも楽しいものだ。手軽に読めるし、持ち運べるのも良い。

ネットするほうが閾値が低いので、だらだらとネットしがちになってしまうのだけど、もう少し頑張って自分を読書の閾値を越すところまで持っていきたい。もうちょっと読書に時間を割ければいいと思っている。きっとだらだらとネットするよりも有意義に違いない。

僕が読書する理由について考えてみた。今となってはとくに理由もなくただ楽しいから読んでいるわけだけれども、そこに後から強引に理由をつける。


僕はおそらく、読書によって周囲の見え方が変わることを楽しんでいる。

例えば、車のことについてとくに興味もなかったのだけれど、自分の車を買った途端に、自分の車と同じ車種の車が多く走っているような気がすることがあると思う。他にも、「最近知り合った人の名前と同じ表札をよく見かけるようになった」とか、「自分と同じ名前の人って結構多い」だとか、そういうのだ。
これは、カラーバス効果と言うらしい。自分の興味のあることや、意識しているものは目にとまりやすい。アンテナの方向や高さとでもいうのかな。

僕は、そういう「アンテナ」を読書によって更新したいのだ。今日に無機化学の本を読むと、明日は世界を無機化学の視点から見るようになるし、見ることが出来るようになる。禅に関する本を読むと、日本の禅的な文化についてのアンテナができる。少なくとも次の日、その次の日くらいまでは、そのアンテナは持続する。そうすると、毎日同じものを見ていても、違う感想を得られる。世界の色が変わって見える。

そういうのを望んでいるのだ。読書というのは外部から価値観や知識を吸収する上で最も効率の良い方法なので、アンテナの建設も効率が良い。すぐに壊れてしまうアンテナもあるけども、ずっと残るものもある。そしてどんどんと受信範囲が広がればいいと思う。

いろんな本を乱読するのも、ネットでいろんな人のテキストを読むのもそういうことなのだろうと思う。