まじょのデイジー/魔女の箒についての考察
まじょのデイジーという絵本を読む。
- 作者: 植田真
- 出版社/メーカー: のら書店
- 発売日: 2009/03
- メディア: 大型本
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魔女のデイジーが箒で空を飛ぶ練習をしていると、ある日黒い鳥のズズーと知り合いになる。飛び方を教えてもらい、デイジーは上手く飛べるようになる。デイジーとズズーは友達になる。そんな心温まるハートフルストーリーだ。とても癒される。絵も素敵だ。かわいらしい。最近疲れているのでこういった本を読み癒されよう!というつもりで借りてきたのだが、大成功だった。
以前からずっと思っていたことを言いたい。魔女が箒で空を飛ぶ場合、浮いているのは箒で、そこに乗っているのが魔女なのか、それとも、魔女は箒と一緒に浮くのか?ということだ。重力から解放されるのは箒なのか?魔女なのか? 僕の言いたいことが分かるだろうか? 飛ぶ能力を得るのは箒なのか、魔女なのか、ということなのだけれど、説明が難しい。「飛ぶ箒に乗る」か、「箒と一緒に飛ぶ」のか。
僕は魔女っ娘に憧れた時代もあったから、当然その頃は箒にまたがった。当然飛べない。しかし、浮かんだ箒に乗る場合は、かなり痛いという想像が出来た。なので、魔女とほうきは一緒に重力から解放されて欲しいと常々思っている。僕は魔女達の体の気を遣っている。なんと優しいのだろう。
箒にまたがるのではなく、横向きに腰掛ける場合なら、浮かぶのは箒だけで、そこに魔女が座ればいい。
おそらく、箒だけが浮かぶだけだった場合、当然乗りにくいから、現代の魔女達はサドルのようなものを付けて乗り心地を増すはずなのだけれど、それは果たして「魔法」なのだろうか。