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笹倉及介の日記ブログ

キーボード考

特になにか伝えたいということは無いのだが、何かを書きたいという気持ちだけがある。キーボードをカタカタを打ち込み、自分の言葉が画面に映し出されるのがとてもおもしろい。キーボードが無ければ僕は何も書かなかっただろうというくらい、容易に文字が打てる。キーボード以前とは今まで考えられなかったくらいすらすらと言葉が出てくるのはとてもおもしろい。「ボタンを押すと何かが起こる」という現象は、近代の人類に共通する快楽である。昔は無かったものだ。

読書会に参加している。先日の読書会では、森見登美彦「恋文の技術」についてだった。この小説は書簡形式の小説で、主人公の守田が送る手紙だけで物語が構成されている。この本を読んで、読書会では、「手紙を書きたくなった」と言う人が多く見られた。僕も例外に漏れずそう思ったのだが、もはや字を書かなくなって久しい。パソコンでの文字の出力に慣れきってしまっている今、手書きの文章は、アウトプットが思考に追いつかないからか、とてもストレスを感じてしまう。もはや手紙の良さは、PCでの速さと正確さという良さにより無視してしまえるほど、とてもとても優れたものであるように思う。だから、手紙は、連絡の手段としてでは無く、「わざわざ手間暇かけて作ったプレゼント」のような使われ方であると思う。

僕がパソコンに触れ始めた初期に、タッチタイピングを覚えたことはとても良かった。周りには、キーボードを見ながらタイプする人たちが沢山居るが、とてももったいないことをしていると思う。タイピングを覚えた方が、効率的であるとか、目が疲れないとか、そういうことももちろん重要だが、それ以上に、思考すると同時に字になることが重要であると思う。思考の垂れ流し、脊髄反射的なレスポンス、そういったものが、キーボード以前は、会話でしか成立せずに、保存されることは無かった。厳密には、思考直結というわけではないのだけれど、その微妙なギャップも、ちょうど良いくらいだと思う。

キーボードは英語圏で生まれたものだから、英語に最適化されている。英語の文章はとても打ちやすい。本当に指先でしゃべっているような気分になる。たまに仕事で英語の文章を書くことがあるのだが、そういったときにすごく実感する。指先で喋る。それはとてもSF的である。

今のキーボードよりも、もっともっと早く文字を打てるような設計のキーボードをいくつか見たことがあるのだが、珍しいものという位置づけで、全く普及しない。僕の理想は車の運転をしながらでも安全にtwitterでつぶやくことの出来るくらいのものが発明されないかと思っている。それは、音声認識とか、脳にUSBケーブルで思考直結とか、そういうものでなく、指先で言葉を紡ぐような機構が良いと思う。声に出さず、かといって本当に思考直結の垂れ流しではない、ちょうど良い文章生成ツールがキーボードであると思うのだ。

でもきっと、近い将来、キーボードよりも思考からテキストへの流れをさらに早くできるものが出来たら、きっとそちらが普及するのだろう。そうして、僕などは、「ワシはキーボードしか使わん!」とか言う頑固なじじいになるのだろう。