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笹倉及介の日記ブログ

狭くなっていくインターネット

インターネットはとても広い。それは、数が多いとか距離が長いとか、グローバルだとかいう意味ではなくて、精神的に自由だという意味で広い。文字の文化だからだ。文章であれば全知全能で、キーボードを叩けばすぐさま神になれる。

僕がblogやtwitterで「いま隣に美少女が座っている。ふたりで一緒にブログを書いている」と書けば、それが真実になる。少なくともそれを読んだ人たちにとっては、ですけれどね。だからみんなに嫁が多いし邪気眼も許されるのです。

これは冗談ではなくて、本当にそうなのです。僕がtwitterで「今日はアレをやったよ」と書いたって、一見ホントウっぽいけど実はフィクションだという可能性もあるでしょう? それは読む人にとってはわからない。それに、「びしょうじょがここにいる」と打ち込んで変換するだけで美少女が居ることになるというお手軽さも自由度に貢献している。美少女を絵で描くのは難しいし、どのような人間が美人なのかの基準も曖昧だが、美少女を字で書くのは簡単で、「とても美人な女の子が居る」と書けばよい。だからネットは自由なのだ。

でも、それはある程度の匿名性が有るがゆえなんだろうな、と思う。匿名性が無くなると書く側の自由度が滅びる。美少女なんて書けなくなってしまう。文字だけの文化ではなくなってくる。
「隣に美少女が居る」と書いたら本当になる世界だったのが、そんなわけがないと知っている人たちがたくさん居るようになるのだ。世間体を気にしてリアルで言えることしか書けなくなってしまう。それはあんまり良いことではないと思う。

そんなのつまらない。とても狭苦しい。だから匿名性が限りなく低いミクシィで「ミクシィ疲れ」なんて言われるのだろう。匿名の文化が無くならないのもそういうことだろう。