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笹倉及介の日記ブログ

SNSで友達通しでいいねいいねってすることは、バイト先で買い物してお金を落とすことに似てる

僕は学生の頃、近所のスーパーでバイトをしていた。時給が1000円と良かったのと、働く時間が、大学の研究などに影響しない時間帯だったし、ストレスのない職場だったので、長く続いた。食材や日用品はほとんどそのスーパーで間に合っていたので、そのスーパーで働いて稼いだお金の大部分は、そこで消費されていたということになる。狭い範囲でお金が循環していた。閉じた経済である。

SNSは、これと似た現象が起こっている。というか、そういう使い方をしている人たちが居るような気がしている。facebookを例に出すと、お金を「いいね!」に置き換えるのだ。友達同士の間で何か自分で作ったもの、写真などを見せて、いいね!を押してもらう。承認欲求を満足し、自身も友達の何かを見て「いいね!」を押す。お互いに「いいね!」を押し合って生活している。facebookに限らず、別に閉じたSNSじゃなくても、そういうことは起こっている。twitter, mixi, blog....全世界に公開されているものでも、見知った範囲向けにアウトプットして、反応を待ち、予想通りの人に、自分の気持ちが良くなれる予想通りの反応をもらって満足し、承認欲求を満たす。それで完結して、外の世界に広がらない。

なんだかそれはちょっと疑問に思ってしまう。
これは鯨井先輩が言うところの、「駄サイクル」である。SNSは駄サイクル製造システムではないか?
駄サイクルとは (ダサイクルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

それがblogだった場合、どれだけアクセスがあっても、全員が友達、先輩、後輩、家族、同僚、知り合いのなかのどれかだったら、アクセスにどれだけの価値があるというのだろう。知り合いだから、おつきあいで見ているだけかも知れない。それが誇れる人もいるのだろうし、知り合いが多いのは凄いなぁと思うけれど、僕はあんまりうれしくない。僕は「作品」と「その作品を作った人」は切り離した方が良いと思っている。知り合いが多いのとのコンテンツが良いものであることとは無関係だ。知り合いのほうが、きっと評価はしてくれるだろう。でも知り合い故に、お世辞も多分に含まれるし、無視もし難いから反応してるだけかも。僕だったら、自分の作った物はむしろ知らない人にたくさん見られたい。それに、せっかくの良いものが狭い範囲でしか出回らないのはもったいないし、ダメだったらダメという評価をもらった方が良い。もっと外の世界に羽ばたいて欲しい。
あなたの閉じた日記を外に公開したらどれだけ救われる人がいると思っているのか!と思うこともある。実にもったいない。

「おつきあい」が目的になっている人たちは、それはそれで良いと思う。でも僕がやっていたのと同じように「バイト」になってしまうと思うし、凄く頑張って働いてもやっぱり買い物はスーパーの中でしか出来ないし、ミシンが欲しいから今日からミシン屋で働いてミシンを買おう!とはならない。


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