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笹倉及介の日記ブログ

作品の面白さを理解できるかどうか。

僕はオクラが食べられない。オクラが食卓に出てきたときはいつも残すので、母はそのうち僕には最初からオクラを出さなくなった。そして、いつもオクラが出るたびに僕に対して「こんなにおいしいものが食べられないなんて、人生の7割損してる」とか言う。その通りだ。何にたいしても嫌うのは損をしている。嫌いよりも好きなほうが良いに決まっている。
例えがオクラだったからわかり辛いかもしれないが、カレーだったらどうだろう。損をしていると思う人は多いと思う。カレーが嫌いな人には申し訳ないが。
「○○の面白さが理解できない」という言葉をよく聞く。ネット上では日常茶飯事だ。まあ最近で言うと、「らき☆すた」だ。このアニメはアニメを見る人全体が盛り上がっているわけではなくて、その中の一部の人が熱狂的に盛り上げていて、理解できない人も沢山いて、それでいて理解できずに、「どこがおもしろいの?」と言っている。好き嫌いが分かれるアニメらしい。らきすたに限らず、そのように面白さが理解できないようなものは誰にでもある。
僕が面白さが理解できなかったときは、僕の知識が少なく、頭が悪く、感受性が面白いと言っている人たちに比べて劣っているからだと考える。誰だって、面白くないよりも面白いほうが良いに決まっているし、面白いものが沢山あったほうがよいに決まっている。面白さが理解できる人は、面白さが理解できない人よりも優れているのだ。「趣味嗜好は人それぞれ」と言う意見も僕の中にはあるけれど、例えば、

100冊の本をAとBの二人に読ませた。Aはその中の20冊に対して面白いと言った。Bも20冊と言った。でもAとBの選び方には違いがあった。

これは「人それぞれ」である。でも、

Aは20冊を面白いと言った。Bは90冊面白いと言った。

これはBの方が得している。
だから、「そんなもので喜んでるなんて変態だな」と馬鹿にしないで、何とか面白さを理解するように努めるほうが幸せになれると思う。なるべく多くを面白いと思いたい。ニコニコ動画に、「上級者向け」というタグがあるが、その通りだ。何でも、理解できて、良さがわかる人のほうが上級者だ。誰もがつまらないと言っているものを面白いと思い、良さが理解できる人が一番幸せであり、感受性が高く、上級者なのだ。
だからと言って、オクラは食べないし、理解できない人たちを馬鹿にするつもりも無い。でも、「こんなに面白いのに理解できないのは人生の7割は損してる」と思うことはある。

考えてみれば、商用の作品というのは、だいたいが面白くて良いものだから商用になるのであって、そこで面白くないと思えるものがあったとしても、それは狙ってそうなっているのではないか。面白さが理解できないのは僕の修行が足りないからだ。ジョジョを「絵が嫌」と言って読まない人に、「わかってないなぁ」と思うのと同じだ。僕にもわかっていないことがある*1。だが、わかるようになりたい。全ての作品を面白いと思えるようになりたい。

*1:ジョジョは大好きだし、らきすたも楽しんで見ている